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あなたに伝えたいこと

希望がない・・・ 生きがいがない・・・ 喜びがない・・・

心の平安がない・・・ これといった確かなものがない・・・

​多くの人間がこのようなことを感じながら、ごまかしごまかし生きています。まるで、ニンジンを目の前にぶら下げ走り続けている馬のように。食べて、飲んで、楽しんで一生を終えていく。果たしてそれが人間の人生なのでしょうか?それならば、動物とさして変わりがありません。しかし、決してそうではないことを、あなたも知っているはずです。どこで間違ってしまったのか、何が間違っているのか、一度立ち止まって考えてみられてはどうですか?

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神が事実ご存在されます

「初めに神が天と地を創造された」

(旧約聖書 創世記1章1節)

天地万物を創造された偉大な神が事実ご存在されます。広大な宇宙も、美しい自然界も、そして私たち人間も、神が世界の最初にお造りになられたものなのです。

あなたはこのことをおとぎ話のように思われますか?ではこの宇宙の様々な物理法則も、自然界の法則も、色とりどりの動植物のデザインも、偶然の産物でしかないとお考えになるのですか?それらのものを見れば、その背後に偉大な知恵と力を持たれた神の存在を認めることができるはずです。

「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」

(旧約聖書 詩篇19篇1節)

ということは、あなたは偶然の産物などではないのです。偶然の産物には、生きる意味も目的も真の幸福もそもそも持ち得ないのです。人間は神によって尊い目的と意味をもって造られた特別な生き物なのです。あなたはそこで大切な判断を間違っていませんか?あなたが生きる意味が分からないと嘆く根本の理由は、あなたが人間を造り生かして下さっている神の存在を無視していることにあるのではないですか。

 

★もし、神がこの世界を創造されたという創造論と、この世界は偶然の産物にしか過ぎないという進化論とを、科学的に冷静に考えてみたいと思われる方は、次のページをお読みになってみて下さい。

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神に対して罪を犯してきた

ぜひ、神の御前にへりくだった心でよくお聞きになって下さい。あなたは、事実ご存在される神を無視して歩むという大変大きな罪を犯してきました。子供が親の存在を無視して歩むことが罪であるというならば、ましてや人間が神の存在を無視し、その方に感謝もせずあがめもせず生きることは当然罪です。聖書は次のように語っています。

「彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。」

(新約聖書 ローマ人への手紙1章21節)

また、罪とは神のご支配を拒むことでもあります。神に対して、「私の人生を支配しないで欲しい。ほっといて欲しい。自分の人生なんだから自分の好きなようにさせてくれ。」というわけです。これも親のありがたみを知らない子供が親に対して取る愚かな態度によく似ています。

また、さらには、神がいみ嫌われる悪が何であるかということを知っていながら数多く行っているのではないでしょうか。聖書は次のように語っています。

「彼らは、してはならないことを行っているのです。彼らは、あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ち、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪巧みにまみれています。また彼らは陰口を言い、人を中傷し、神を憎み、人を侮り、高ぶり、大言壮語し、悪事を企み、親に逆らい、浅はかで、不誠実で、情け知らずで、無慈悲です。」

(新約聖書 ローマ人への手紙1章28節~31節)

導き出される結論は何でしょうか?

それは、

「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができない」

(新約聖書 ローマ人への手紙3章23節) であるはずです。

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罪のさばきがある

あなたは、「悪に対してはさばきが下されるべきだ」という極めて常識的な正義感をお持ちかと思います。神は完全な正義をお持ちのお方ですから、当然罪をおさばきになられます。警察に捕まらなかったとしても、法律によってさばかれなかったとしても、死後には必ず神の法廷に引き出され、神の法によって罪をさばかれ、それ相当の処罰を受けさせられるのです。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(新約聖書 ヘブル人への手紙9章27節)
そして、その処罰とは永遠に火の燃える地獄であると神は警告しておられます。
「数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。
いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」(新約聖書 黙示録20章12節、15節)
人間の死後には罪のさばきと永遠の滅びが待っているのです。
あなたは、その神の法廷に立つ準備ができていますか?必ず死後にその時がやって来ます。また、あなたはその神の法廷において無罪を主張することができますか?「神様、私にはあなたによってさばかれるべき罪は1つもありませんから、天国に入れて下さい」と言えるでしょうか?
​いえ、さばかれるべき罪が山積みであることは、あなたの心が1番良く知っているはずです。
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罪の赦し・永遠のいのち

あなたにとって必要なものは何でしょうか?
​それは、罪の赦しと永遠のいのちです。
しかし、数え切れないほどの多くの罪を犯してきた、有罪でしかありえない私たちに、どのようにして神は罪の赦しをお与えになるというのでしょう。神がお取り下さったその素晴らしい救いの方法とは、「身代わり」でした。
「キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。」(新約聖書 ペテロの手紙第一3章18節)
罪を犯したのは私たちですから、本来罪の刑罰を受けなければならないのは私たち自身です。しかし、神はそのひとり子イエス・キリストをこの世に遣わし、十字架にかけ、私たちの身代わりとして下さったのです。イエス・キリストは、紀元30年、エルサレム郊外のゴルゴタの丘の上で、私たちの罪をすべてその身に背負い、十字架の上で尊い血を流しいのちを捨てて下さったのです。そして、死後3日目の朝早くに死の力を打ち破ってよみがえり、ご自身が私たちの信ずべき救い主であられることを明確に証しして下さったのです。
神の約束はこうです。
「この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる」(新約聖書 使徒の働き10章43節)
​「御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つ」(新約聖書 ヨハネの福音書3章16節)
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神のもとに立ち返ろう

あなたは今すぐどうすればよいのでしょうか?

「悔い改めて神に立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪はぬぐい去られます。」(新約聖書 使徒の働き3章19節)

​神は、あなたが悔い改めてご自身の元に帰ってくることを心から待っておられます。今まであなたは、神から遠く離れて神を無視して罪の中を歩んできました。しかし、今あなたには救いのチャンスが与えられています。ならば、今すぐご自身の間違いを全面的に認めて、愛と憐れみに満ちた神のもとに立ち返るべきです。そして、あなたのために十字架で死んで下さった救い主イエス・キリストを信じ受け入れればよいのです。そうするならば、神はあなたの罪をすべてお赦しくださり、永遠のいのちをお与え下さいます。そして、あなたを神の子どもとしてご自身のふところに受け入れて下さいます。

結果、あなたは地獄ではなく、素晴らしい神の国(天国)に入ることができる者となるのです。

「私たちの国籍は天にあります。ー中略ー キリストは、万物をご自分に従わせることさえできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。」(新約聖書 ピリピ人への手紙3章20~21節)

神は天国において完全な心とからだをお与え下さいます。そこでは、罪人たちの醜い争いは消え去り、地上で経験したあらゆる悲しみも苦しみも過ぎ去ります。身体障害や精神障害に苦しんだ者たちも、その労苦から一切解き放たれ、完全な自由と喜びを楽しみ、神をほめたたえるようにされるのです。

「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」(新約聖書 黙示録21章3節~4節)

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神を信じた者の人生

あなたは今すぐどうすればよいのでしょうか?

神のもとに立ち返ったあなたは、素晴らしい天国の国籍を自分のものとすることができただけではありません。天に行くまでのこの地上の人生も神の導きと力強い助けを頂きながら神とともに歩むことができます。今までは、ただ頼りにもならない自分の知恵と力に頼って手さぐりで生きるしかありませんでしたが、神を信じる者は神の子どもとされますので、絶えずこの方に頼ることができるのです。

「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」(新約聖書 ヨハネの福音書1章12節)

神の子どもには頼ることのできる絶対的な物さし、道しるべがあります。それは神の言葉である聖書です。どんな悩みも問題もすべて聖書に答えがあります。神の言葉(聖書)を学ぶことはこの上ない喜びと楽しみです。

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(旧約聖書 詩篇119篇105節)

また、神の子どもは父となって下さった神に祈ることができます。いつでも、全知全能のお方に自分の必要を訴え、助けを求めることができます。当然、神は神の子どもの訴えに耳を傾け、折りにかなった導きと助けを与えてくださいます。

「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」(新約聖書 ヤコブの手紙1章5節)

​このようにして、神に頼りながら、栄光に輝く天を目指して走り続けるのです。さながら、素晴らしい栄光を手にすることが決まってるランナーのようです。天に神の子どもの家も宝も誉れも栄光もあるのです。

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